自由2日目
今日は、午前中にとある臨海公園に区のレンタルサイクルを借り行きました。
ほうじ茶と家で作ったおにぎりと業務用スーパーで買ったゼリーを持って。
曜日感覚が多少無くなっていて(嬉しい)、あ、今日土曜日だったかと
家族連れがそこそこいて、多少げんなり。
ちょうどいい木漏れ日で寝ていたのも数十分で
気付くと家族連れのテントが至近距離に2つ、
寝た後文章書くか、本を読みたいと思っていたので
なかなか落ち着かず、そのまま帰ることに。
あとこれからの大きな不安事なのに
服を購入。
今日も比較的行動できたから良し。
次からは平日に公園に行って寝ようと思う。
自由1日目
無職ではないけれど自由になりました。
ただ精神的なものがいまひとつ。
会社を辞めたところで、国民健康保険や所得税を払わないといけないため
お金から自由になるのは難しい。
億万長者になるか、自給自足か。
今日は、保健所と業務用スーパーに行けたので
おおむね満足。
明日自転車で海の見える公園に行ってみようと思います。
明日、来週、来月等、楽しみがあると生きてて楽しい。
昔本で、死が怖いんじゃなくて死に至る生が怖いのよ。って言ってて。
楽しみは最中もだし、至るまでも凄く楽しい。
楽しいと楽しみの違い。
別に自分の事ではないけど、死ぬのが楽しみな人がいたら最強だなって思った。
絶対的楽しみが、人生の最後の最後に待っていていつでも
ワクワクできるんじゃないかと。
ただ老後に〇〇をするのが楽しみ、とかだと
あんまりに現実から目を背けすぎてて辛くなるのかな。
働くことについて
昔、読書をしていて面白いと感じたり気になったりした言葉をノートにメモしていて、その中にこんな言葉があった。
ここでまたへそ曲がりな僕は、「今のところ幸せ」だなんて答えつつも、別のことを考えている。仕事が幸せなはずはないじゃないか、と。あるいは、幸せだったら仕事じゃないじゃないか、ただの趣味じゃないか、と。
むろん世の中には自分の仕事を天職だち感じ、幸せに仕事をしている人も存在していることは知っている。だけど、仕事というのは、やりがいや自己実現のために存在しているわけでもないのである。仕事というのは、えてしてほとんどがやりたくないもので、この映画監督という仕事も決して僕の幸せのために存在しているのではないことを、僕はよく知っている。
恩田陸 ブラーザー・サン シスター・ムーン
この言葉は私が労働者になる前にメモしたものだけど、
仕事のやりがいなんぞを聞かれたときにたまに思い出す言葉ではある。
今日は8時間の殆どをネットサーフィンに費やして
国民年金保険料や確定申告の仕方、最寄りの税務署の場所など調べることができた。
それでも給料は貰えるわけで、
あと数日出社すればとりあえずは自由の身。
次は決まっていない自由の身。
空白期間なんて怖くて空けられない、という価値観からは外れざるを得なかったので特に何も思わないけど。
昔ほど焦りが無いのは、歳を取ったからなのか3回目の転職だからか
ただの神経衰弱だからなのか。
数か月前に出社時、遅れそうだったので最寄り駅に向かって走っていたら
「なんで行きたくもないところに走っているんだろう」と本気で思った。
「働きたくないな~」とぼんやりずっと思ってた。
パワハラ上司がいる職場では、っていうのを脳が勝手に省略はしていたものの
とりあえず来週から働かない日々。
数年経って、今は楽しくやってます~☆とかではなく
今日、今日の話として記録。
友達3人にラインを返せたので今日はもうテンションが凄く高いんだと思う。
ジャネーの法則継続中
いやはや、、最初の記事から3か月。
凄いよ凄い、三日坊主の捉え方1ヶ月Ver
最早辞めているという感覚に気付くのに3か月。
これから何を話せばいいのかと思いますが。
いつもノートに記録する日記とは違う感じで
今日は都内外出自粛要請が出て2日目の29日(日)
昨日は、幸いにもリモート飲み会をすることができ6、7名で
顔を合わせてお酒を飲むことができたのですが。
明日出社したくないという思いと
明日で会社の席が変わってしまう切なさと
色々なものがグルグル。
「分人」がある人の方が信用できるのは自分がそうだからなのか。
表裏無く仕事ができる人の怖さ凄さ不気味さ。
やはり生きてるからには気になる「生きてる意味」について。
他の皆さんの恋愛への折り合いの付け方。
29歳にして彼氏がいたことないのに2回転職してる人の日々。
彼氏がとりあえず1人いた人と全くいたことない人の違い。
自分の発言が全てマウントに聞こえてしまう病気。
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みたいなことをそのうち(また3か月後にならないことを祈る)書けたら
いいですね。